[]小笠原旅行記2

昔、ここで戦争があった

小笠原にはいわゆる「戦跡」がたくさんある。戦争が小笠原にだけあったわけではなく、もちろん東京でも大空襲などがあった。しかし、東京はすぐに復興して戦争の跡形はなくなってしまった。小笠原は、戦争の跡形が今でもそのままになっているのである。「戦跡ツアー」なんていうのも小笠原にはある。




この写真は境浦海岸にあるトーチカのひとつの中から撮ったもの。硫黄島玉砕後、アメリカ侵攻に備えてたくさんのトーチカが作られた。硫黄島の山の形を変えてしまうほどのすざましい攻撃をしたアメリカ軍に、こんな小さなトーチカで戦おうとしていた人々の気持ちはどんなものであったろう。海の真ん中にあるいくつかの岩のように見える物体は、実は戦争中、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、座礁した日本の輸送船である。







座礁した輸送船の拡大写真がこれ。







この写真も同じ境浦海岸のもの。この穴から、銃でアメリカ軍と戦おうとしていたのです。







これは、クルーザーから撮ったもの。銃を打つための四角い穴が見えます。こんなのどかな風景のもとで、生死をかけた戦争が行われていたのです。


「忘れてはならない。もし人々が忘れるならば、全てがまた再びはじまる」

高校時代に学んだ言葉を思い出しました

続く