[]中高年男女もセクハラの被害者?

1990年頃より、セクハラという言葉が出てきた。この言葉が出てきた頃は、いわゆる雇用、昇進とリンクさせたセクハラだとかかなり悪質なものであったので、なるほどとも思っていた。最近は環境型セクハラとかでててきた。そして「相手が不快に思うことをしてはいけないのです」という解釈も一部出てきている。

最後の部分とかはちょっといきすぎな面もあると思う。
そもそも、「相手を不快に思ったことがない」人間がこの世界にいるのだろうか。僕自身、相手を何度も不快に思ったことがある。
しかし自分が相手を不快に思ったら、それがセクシャルであった瞬間に「自由かつ一方的に」相手を非難する権利があるといえるのだろうか?

もちろん、言えないと思う、僕が今の日本のセクハラにかけている概念は、


「社会正義」とか「公正さ」


である。相手を不快に思っても、そこに社会正義、公正さが必要なのである。
まず、その社会正義、公正さがない事例を見てみよう。


わかりやすい事例を挙げる。マスコミなどで、比較的若い女性が比較的中高年の男性を「オヤジくさい」とか「死臭みたい」とか「ハゲ」だとかよく中高年の「身体的特徴」を笑いものにしたり、毛嫌いしたりする様を耳にする。これは比較的若い男性から中高年の女性に対しても同様の発言、対応がたまに見られる。



僕はまだ中年になっていないと思うが、明らかにこういったことを職場などで言われたり陰口をたたかれた中高年の男性、女性はひどく傷ついているであろう。そしてとても不快に思っているのではないだろうか。しかしながら現在ではこれらはセクハラとしてあまり騒がれていない。これからマスコミ、裁判などを通じて認められていくかもしれないが、現状ではほとんど泣き寝入りである。

それだけではない。
プライベートではなく、職場で職務遂行上必要と社会通念上思われる職務をしても、例えば「若いハンサムな男性」であればOKだが「中高年の男性のうち、臭いがしている中高年」はいやだという場合、これ自身、実はその中高年男性に対するセクハラ行為でもあるわけである。


このようにしてみると、セクハラとは

「相手の意に反する性的な言動により相手方の・・・」

というよくある定義は間違っていて、例えば

「双方が相手を年齢、容姿、身体的特徴の面から公正に接するという前提の下で

という風に公正さを含めて改正していかなくてはならないと思う。

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