[]あれから10年

今からちょうど10年前の今日、僕はいつもどうりにJR中央線に乗ってお茶の水駅に行き、そこから歩いて本郷三丁目の大学に行った。大学に着いてメールや郵便物を処理したりコーヒーを作ったりしながらラジオのスイッチを入れると、緊急ニュースが流れていて、色々な地下鉄の駅で沢山の負傷者が出たとの報道が流れていた。数日後、海外にいた院生はからは「東京で毒ガス攻撃があったそうだがみんなは大丈夫か」というメールがあった。


今日は当時の混乱が嘘であったかのように平穏である。


僕は思うに、日本では哲学とか宗教とか思想とかを、客観的に見比べる授業がほとんどない事が問題の一つと思う。その結果、自分の頭で善悪を考えることができず、何かに頼ってしまう可能性があるわけである。

僕自身が哲学や宗教を学んだのは、高校の時の倫理と大学における一般教養の哲学概説、倫理学くらいだ。しかしこれらは全て必修でなく選択であり、しかも高校の倫理は選択者が少ないので、日本には哲学、宗教を全く学ばずに大人になった人々が沢山いるということになる。そういった哲学、宗教にウブな人々が人生に挫折しそうになったり、障害にぶつかったとき、どうなるのだろうか。



僕は高校時代、共通一次(現センター試験)に倫理、政経を選択したので、一応倫理を学んだ。そこでキリスト教、仏教、ギリシア哲学、儒教デカルトの思想、カントの思想、実存主義プラグマティズムアメリカ)、日本神道、その他世界の色々な思想を学んだ。これらの思想の中には似たものもあれば相反するものもあり、おかげでこれらの思想を客観的に見ることができるようになった。特定の思想に染まることなく、さまざまな考えを客観的に知ることができた。


日本では哲学教育がほとんどなされていないが、健全な意味での哲学教育(例えば特定の思想に染まらない哲学教育)は数学、英語、国語などの教科よりも
人間として生きていくうえで本当は重要なのではないかと思う。